ジャズ・メッセンジャーズの歴史は、ホレス・シルヴァーが1954年に結成したユニットに始まる。
ケニー・ドーハム(tp)、ハンク・モブリー(ts)、ホレス・シルヴァー(p)、ダグ・ワトキンス(b)、アート・ブレイキー(ds)がオリジナルメンバーで、ホレス・シルヴァーのリーダーシップの元、アフロアメリカンによるファンキージャズが展開された。ジャズ・メッセンジャーズの初期の隆盛を誇り、その後の方向性を決定付けたユニットであったが、1年半の活動の後ホレス・シルヴァーの脱退という形で幕を閉じる事になる。
ホレス・シルヴァーと袂を分かったアート・ブレイキーは自身がリーダーとなってジャズ・メッセンジャーズを牽引していく事になったが、しばらくは不遇の時を過ごす事となる。再びこのユニットが脚光を浴びたのは
1958年にリー・モーガン(tp)、ベニー・ゴルソン(ts)、ボビー・ティモンズ(p)、ジミー・メリット(b)、アート・ブレイキー(ds)の編成になった時だろう。ベニー・ゴルソンとボビー・ティモンズの抜群の作曲センスを武器に再びファンキージャズを展開し評価を得ていった。特にベニー・ゴルソンの「ブルース・マーチ」やボビー・ティモンズの「モーニン」はジャズ・メッセンジャーズを代表するチューンとなっている。
1959年には、ベニー・ゴルソンに代わって当時新人だったウェイン・ショーター(ts)を音楽監督として迎え入れる。このあたりからアート・ブレイキーの新人発掘の才能が表面化していったといえるかもしらない。ウェイン・ショーターは「ジャイアンティス」等の名曲を残しジャズ・メッセンジャーズを大いに盛り上げた。
1960年代以降はフレディー・ハバード(tp)、キース・ジャレット(p)。更に、 チック・コリアやウィントン・マルサリス、ブランフォード・マルサリス、等多くのアーティストがアート・ブレイキー・アンド・ジャズ・メッセンジャーズの元で育っていった。
ジャズ・メッセンジャーズは単なる音楽ユニットとしてだけではなく、アート・ブレイキーの伸びやかなバックグラウンドの元、優秀な人材を育成するジャズの名門校としてジャズ界に大きな功績を残した。
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